【 武家流 有名茶室 】の紹介

Introduction of commentary on "Famous Tea Room"

様々な茶室専門書をまとめたものです。【参考文献】
・「茶室の見方」主婦の友社 ・「全国名茶室案内」婦人画報社 ・「古典に学ぶ茶室の設計」建築知識・「数奇屋建築詳細図集」住宅建築別冊 ・「京の茶室」婦人画報社 ・「茶室案内No.1~12」淡交社

古田織部 織田有楽 小堀遠州の武家流茶室 有名な古典茶室の紹介です

 千家流の侘び数寄の茶室との違いは、侘びの中に『武家らしさの造作』が随所にみてとれることです。 

 床の間に書院的な部材を使ったり、書院の意匠をそのまま残したり、点前座に窓を多用し明るくしたり、相伴席を工夫して作ったりと、様々に『武家らしさの創意工夫』があります。
 そして何より茶室が『カッコイイ』と感じます。これが武士の威厳を表現していることなのでしょう。

如庵(じょあん)国宝

『如庵』は織田有楽(織田信長の弟)が作ったと言われてる。
二畳半台目下座床の草庵茶室(侘び数寄屋)です。

特徴は、炉先の前角に中柱を立て板を火灯形に抜いているところ。
床脇に三角の鱗板を入れ壁を斜行、茶道口からの動線を考慮したところ。
点前座脇壁にある二つの連子窓を竹の詰め打ちにしたところ(有楽窓と言われ有名)。
腰張りに古歴を張ったところ。(最近の茶室は古歴を好む人が多いですね)
躙口前を土間庇とし、外観側に見せていないところ等。

■ポイント解説
連子窓 れんじまど:細い竹を、縦に一定の間隔を置いて、窓に取り付けたもの。
中柱 なかばしら :一般的には台目構えか道安囲いに立てる。如庵の立て方は特殊。
刀掛 かたなかけ :茶席の躙口の近くに設けられた木枠でつくった刀を置く棚。当時武士でも茶室には刀をつけて入れなかったのです。

如庵 茶室
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密庵席(みったんせき)国宝

『綺麗さび』のテイストで有名な小堀遠州が作ったと言われる、書院風茶室です。
江戸幕府の作事奉行(今の建設大臣みたいなもの)をしながら、将軍の茶道役も勤めました。
仕事で作った建築より、趣味で頼まれて作ったと思われる「茶室」のほうが現在有名です。
茶室が草庵化していく中で、武士向けの茶室を提案したのがこの『密庵席』です。
有名な書院茶室『忘筌』も遠州の作といわれています。(次に紹介してます)
「書院をベースに数奇屋の要素を取り入れた」この形など、自由に提案しているのが面白いです。
「茶室はこうでなくてはいけない」などと固く考えることはないのでしょう。
■ポイント解説
張付壁(はりつけかべ):襖のようなものをはめ込んで仕上げた壁。(書院造りの標準仕上げ) 紙張りとなるので山水画など描かれていることが多い。
真塗框(しんぬりかまち):床の框(床の下部の材)を真塗りとしたもの
真塗り(しんぬり):黒漆を何回も塗り/研ぎ出した、つるつるの仕上げ
真の杉丸太:部材の真行草は色々な解釈があるが、ここでは曲がりが無く、「絞り丸太」でない、杉丸太の意味
面皮柱(めんかわばしら):四角い柱の角が丸太の「面」になっている柱。現在も茶室はこれを使うと「本格派」といわれる。
【密庵席】起し絵図のダウンロードページはこちらから

密庵席 茶室
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忘 筌(ぼうせん)重要文化財

小堀遠州の最晩年の作と言われる忘筌の紹介です。
大徳寺の孤篷庵(こほうあん)の客殿(本堂)に造られ、8畳+床1畳+点前座1畳+相伴席3畳で全体12畳の茶室です。

床と点前座を並べるのは遠州の得意の形式(密庵席/八窓席も同じ)です。
書院様式の座敷を工夫し、茶室の雰囲気を完成させた様子をご覧ください。

忘筌は、1793年に焼失してしまいますが、まもなく松平不昧/近衛家の援助で、焼け残った飛び石/灯籠/手水鉢を使いながら、当初の姿に忠実に復原されたと言われています。

忘筌の名は「筌」は魚をとるための細い割竹で作った道具のことで、その道具(技術)を忘れると言うことになります。『筌は魚を取る手段のための道具でしかないので忘れて、目的にしない』という解釈になるのでしょう。(禅語なので様々に解釈できますが…)

茶室も同じで、茶をやる場であって茶の湯の目的ではない。大切なのは場や形ではなく、茶の湯の真の意味を目的に定めるべきである、と言う教えなに感じます。

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八窓席(はっそうせき)

小堀遠州の監修と言われる、京都南禅寺の塔頭 金地院八窓席の紹介です。

三畳台目の茶室で、十三畳敷きの書院に隣接してこちらからも茶室へ出入りが出来ます。
濃茶は八窓席で飲み、書院で薄茶を頂くなど場を変えて茶事を行えば、座敷飾りを客に見せることも出来ます。古田織部の『鎖の間』的な演出ですが、実際にどのように使われていたのかは、定かではありません。

小堀遠州の得意な手法が随所に見られるのが特徴で、縁に付けた躙り口/躙口を壁中央に開けて下座を相伴席に扱う/床と点前座を並べて配置など、密庵席や忘筌の間取りの構成と似ている所があります。

八窓席といわれるが、茶室内部の下地窓を入れても全部で六窓の茶室ですが、点前座の後ろや躙り口側の壁面は、大きな窓を計4つ開けてとても明るい茶室になっています。

天井の竿が床指しとなっていたり(異例です)、繊細な納まりは曖昧な所も多いと感じますので、遠州の監修はどこまでかは不明と言われています。

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燕庵(えんあん)

古田織部が作ったといわれています。
織部は利休の弟子で、利休死後、徳川家康に「武士らしい茶道」を目指すよう命じられ、
大名でありながら、将軍家の茶道師範を務め、武家茶道のベースを作ったといわれています。
利休時代の茶の湯は、町人(豪商)の都市文化として侘茶があったのです。

燕庵の特徴、間取りは深三畳台目下座床で、相伴席を作り茶室内の上座と下座を明確に分けています。

床框を真塗りにして手前座も色紙窓など華やかさをつけ、大名が正客や亭主であってもさまになるような草庵茶室をデザインしています。

深三畳台目下座は、現在、公共の茶室でも多くあります。
また、一般邸に作る小間茶室も、この形式にされる方が多いようです。

■ポイント解説
色紙窓(しきしまど):点前座に中心軸をずらし上下に配置した窓。上を連子窓、下を下地窓で片引きの障子をつける。
色紙ちらしの張りつけに似ている事からそう呼ぶ。
墨蹟窓(ぼくせきまど):床の袖壁にあける下地窓のこと。窓に花入を掛ける釘を打ち花明窓(はなあかりまど)ともいう。
雲雀棚(ひばりだな):点前座の「台目構え」に付く棚
相伴席(しょうばんせき):当時は、付き人(家来)の席

燕庵 茶室
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