躙口は、千利休が草庵茶室・待庵に設けたのがはじまりと言われています。千利休が淀川の漁夫の船小屋の出入口をヒントにしたという逸話がありますが、それ以外にも商家の大戸の潜りや能舞台の切戸など似たような仕様はあり、小さな出入口は利休が考えたと言うより、茶室に取り入れたことに深い意味があるのでしょう。
草案茶室は、侘茶の精神性/思想を茶室で表現したものと言えます。戦国時代は天下人が威厳をふりかざす時代で、身分の上下関係は絶対的ですが、茶室に入る所が躙口ならば、誰であろうとも低く頭を垂れて伏して入らねばなりません。
茶室では、まず身分を捨てお互いに一人の人間として、ありのままの姿になる、その精神性/思想を躙る所作で伝えるため、入口を躙口にしたと解釈ができます。