大貫雄二郎 プロフィール
大貫雄二郎一級建築士事務所主宰
自己紹介
大貫雄二郎一級建築士事務所主宰。 学校法人高澤学園監事。
茶室設計を主とした設計業務。 住宅会社様向け、提案力強化研修/折衝案件の提案支援。
電子書籍出版、住まいの書房 素敵な茶室作り 実践書シリーズ。
1959年 東京に生まれる
東京芸術大学美術学部 構成デザイン修士課程終了。 高澤学園すいどーばた美術学院講師。
㈱GK ハウジングデザイン部。 積水化学工業(株)セキスイハイムの住宅商品開発、チーフデザイナーとして従事。 同グループ内デザイン強化研修、延べ2.6千人育成。 セキスイデザインワークス㈱リフォーム部責任者。 2020年独立
皆さんこんにちは、大貫雄二郎です
住宅デザインの仕事を32年間キャリアを積み、現在は大貫雄二郎一級建築士事務所主宰として、住宅デザインの仕事をしています。 私の経歴はデザイン事務所から転職し、積水化学工業㈱のセキスイハイムのデザイナーとして勤務してきました。
セキスイハイムのデザイナーとしては、数々の主力商品の開発を手掛け、試作棟/住宅展示場/実邸の設計/カタログ作りなどの業務をしました。
そしてデザイン研修は、社内のプロ育成のためのデザイン提案力強化を目的とし、企画から講師まで務めてきて、2.6千人を超えるインテリアコーディネーター、営業マン、設計士に指導しています。 研修は今年で14年目になります。
私のデザインの基盤は、茶室建築/住宅デザイン/伝統工芸/芸術/プロダクトデザインなど、一般の建築家と少し違い、より幅広いデザインの世界観から部屋作りを考えることです‥その経歴を少しお話します。
大貫雄二郎
プロ以前の準備時代
■茶の湯を始めたのは16歳の頃で、自宅の母の教室で修道しました。ですが…お稽古は余り出来ず(お弟子さん優先の為、3時間待っても出来ないことがありました)、私の興味は年々お点前から茶道具や茶室へと広がっていきます。
数寄屋建築や茶室の美しさに魅かれて、学生時代に世の中にある全ての茶室の本を購入して、間取りの知識や、有名茶室の仕様を読みあさりました。
茶道具/茶室/茶庭データのまとめを始めたのは社会人になって、自分のパソコンを購入した時からで、スキャナーを購入して写真を取り込み、時代ごとに道具を整理したり、茶室の特徴をまとめたりするのが楽しみでした。
茶の湯の美は、私のプロのデザイナーとしてのベースの思想に完全になっていきました。
■大学入るのに5浪しました‥ 学生の時は茶の湯繋がりで工芸家や芸術家に憧れ、東京芸大を目指しました。 しかし現役入試はあえなく失敗。ビルの窓拭きバイトをしながら、絵を描く長い浪人生活の始まりでした。 フリーターやニートという言葉もまだない、のんびりした時代でしたが、両親の心配は相当なもの。「息子はご飯と寝る場所をあたえる犬か猫を飼ってるつもりになればいい」と両親は半ば諦めていたようです。 その後何とか5浪目で東京芸大デザイン科に合格しました。
■芸大の教育指導とは‥ 才能溢れる仲間に囲まれ、自分だけのフォルムを追い続ける自由な時間。 当時東京芸大はデザイン科であっても、芸術性の高いアーティストを生み出すという姿勢があり、私は絵画や彫刻などをがむしゃらに創りました。 公募展にオブジェなどを出品しながら、芸術家を目指していました。
■大学院も含めて6年の大学生活の間、私は長年浪人していた美大予備校『すいどーばた美術学院』で講師をして、デッサンや平面構成など指導していました。 浪人生のクラスを受け持ち、そして生徒が成長していく姿を見るのは楽しく、やり甲斐がありました。会社勤めをしてから『講師』という役職を受け持ったのも、この時の、喜び体験があったからだと思います。
大学院に入り就職時期が近づいてくると‥芸術家で食べていくことはできないし、もっと実践のデザインにも挑戦したいという思いもあり、日本で一番大きなフリーランスデザイン会社GKデザインに就職しました。
浪人時代 デッザン
浪人時代 平面&立体構成
芸大時代 美術館模型製作課題
芸大時代 微妙な動きのモビール作品
社会でのお仕事
■㈱GKに30歳の新人で入社 時代はバブル後期、国や企業の都市開発、商品開発がまだまだ盛んでそれに伴うデザインの仕事が山のようにありました。連日徹夜の作業です。 住宅設備、住宅建材、医療機器、産業用ロボット、JR車両の内装、オーディオ機器などのデザインをしながら、プロダクトデザインを徹底的に仕込まれました。 また住宅のデザインの仕事が増えてきて、私が担当することになり、建築に対する興味が強くわいてきたのがこの時期です。
■学生時代から数寄屋建築や茶室の美しさに魅かれ、そんな空間を造ってみたいと言う思いから、『住宅デザインは私の生涯の道』と思い、㈱GKから、積水化学工業㈱に転職し住宅デザイナーになりました。
茶室の設計を始めたのもこの頃で、趣味で『一般住宅に国宝茶室を作る』ことをテーマにしてスタディしていました。茶会などでその模型を披露したら、茶室の相談が沢山来るようになり、数々の茶室作りのお手伝いが始まりました。
■セキスイハイムの商品開発で、初めてチーフデザイナーとして任されたのは…ほぼ打切りになりそうなプロジェクトでした。(楽に進むプロジェクトは上長は離さないです)それをなんとか上市させた後は開発チームからも信頼されてきます。次のモデルチェンジのプロジェクトでは、あまり売れていなかった商品をグレードを上げ主力商品に強化し、その後ハイム/ツーユーホームの8タイプを次々と開発してきました。
■新築の商品開発で13年間過ごした後、リフォームの事業部に移りました。住宅商品は外装システムの開発が主で、しかも顧客ニーズは『ザックリと面でとらえる』ので、もっときめ細かい生活に密着したデザインをやりたかったからです。そして開発を若手デザイナーに譲りたかったこともあります。
■リフォームの事業部では、生活提案力強化のデザイン研修を全国のハイムリフォーム会社にやり始めました。これが大人気の研修となり、10年で2.6千以上の受講者を育成しました。事業拡大にも大きく貢献し、2007年度705億の売上が、2013年度1063億円まで成長しました。
また、研修をきっかけに全国のハイムから、『お客様が茶室を希望している』時の相談役になりました。茶室の相談を受けプランを練って提案書を作る。今もフェイスブックで読者様とやっているやり取りをしていました。
■そして、子会社のセキスイデザインワークス(株)の一般リフォームの責任者として勤務し、そこでは、大型のリフォームはデザイナーと同行折衝して(計約120件)高い契約率を獲得しました。
ここでも、実際の茶室のリフォームも多く手掛け、今までに100件近く茶室作りに携わています。
セキスイハイムの商品開発
セキスイハイムの商品開発
リフォーム 戸建て住宅茶室 水屋
リフォーム 戸建て住宅茶室 茶庭
リフォーム 戸建て住宅茶室 店舗
インテリアで人生を楽しみましょう
■電子書籍やホームページを始めたのは12年前です。きっかけは、北欧やオーストラリアの住宅を仕事で訪問し、明らかに日本の住宅より美しく生活を楽しんでいると感じたからです。庭で育てた花が飾られたダイニング、自作の工芸品を雰囲気良く飾った居間、高価な美術品や家具を取り揃えてるわけではないのに、 美しく居心地の良い家がたくさんあり、何よりも生活を楽しんでいる姿が羨ましかったです。
日常的にインテリアも生活も楽しんでいる姿に出会って、日本の住宅がこれから目指すことはこれだ!と感じました。
インテリアを美しくする/生活を楽しくするには法則があり、デザインの世界で仕事をしてきた私には理解できます。これは、覚えてしまえば誰にでもできるものですので、このインテリア創りのノウハウを、電子書籍やホームページを通じて多くの方々に伝えようとしているのです。
『日本の住宅は狭い』と感じている方も多いと思いますが、狭いからこそ居心地よく豊かに暮らす、日本独特の文化もあります。広さ=豊かさではないのです。茶室は日本の住文化の魅力が顕著にあらわれています。
是非、 みなさんと一緒に、家を大切にインテリアを楽しんで、素敵な人生を送りましょう。
北欧住宅
オーストラリア住宅
オーストラリア住宅