Zen thought and "Chazen Ichimi"
禅の思想と『茶禅一味』
茶禅一味
Chazen Ichimi
茶禅一味は、茶道と禅味が一体であることを悟ることであり、人間形成においては茶の湯と禅宗に差異はないということです。
茶の湯の大成者、千利休は茶禅一味の境地について『小座敷の茶の湯は第一仏法をもって修行得道することなり。水を運び薪を取り、湯を沸かし茶を点てて、仏に供へ人にも施し我も飲み、花を立て香を焚きて、みなみな仏祖の行ひの跡を学ぶなり』と述べています。
以後、千利休から伝わる茶道は、床の間に禅僧の禅語を荘り、禅の精神性を大切に行われています。
禅とは What is Zen?
自分の心の中に下りていき、自分が本当に望むものを徹底的に見つめ、自分の深いところから来る、心の動揺がない自分自身の存在の真の姿をさがすことです。
私たちの心は、もとより清浄な「ほとけ」でありパーフェクトな存在です。ところが生きていることで、他の存在と自分とを違え対象化しながら距離と境界を築き、自らの都合や立場を守ろうとする我欲によって、曇りを生じさせてしまいます。
それを取り除くのが『禅の精神』であり、それは、ひとつの相におさまらない無相であり、ひとつの思いにかたよらない無念の心境が禅定となり「ほとけ」の心になります。
禅語とは What is Zen language?
禅語には様々な深い意味合いが込められています。そしてその解釈は幾通りも出来るので、どんな意味でとらえても間違えはないのです。
禅語を読み、また絵を見て何を感じるか…日を改めて読むと全く違うことを感じても、そのあなたなりの感じ方は全て正しいのです。
禅語は、自他の境界と距離を超えた森羅万象に共通するほとけの心のことを指します。禅語に自然の姿を語ったものが多いのは、この森羅万象に共通する真理を見つめるからです。
小鳥の啼き声を耳にし、草花の香りの中にありながら、自分と自分以外の環境を認め、自分と平等にひとつとする、そういう自由自在な心に禅語は導いてくれます。